収穫感謝節
ハバクク書3:16―19
成熟した感謝
2024年収穫感謝節を迎えることができ、神様に栄光をお返しし、私たちの教会と聖徒の皆さんに神の祝福と恵みが豊かに与えられることを祈ります。
今日、私たちが毎年迎える収穫感謝節ですが、成熟したクリスチャンが備えるべき感謝はどのような感謝なのか、本文を通して共に恵みを分かち合いたいと思います。
ハバククク預言者の感謝の歌をもう一度お読みします。16-19節を見ます。「それを聞いて、わたしの内臓は震え/その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び/わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ/我々に攻めかかる民に/苦しみの日が臨むのを。いちじくの木に花は咲かず/ぶどうの枝は実をつけず/オリーブは収穫の期待を裏切り/田畑は食物を生ぜず/羊はおりから断たれ/牛舎には牛がいなくなる。
しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし/聖なる高台を歩ませられる。」
ハバククク預言者のこの喜びの歌は、最も美しく、成熟した信仰の境地を示しています。
この感謝の賛美こそ、成熟した信仰者の口から溢れ出る感謝です。私たちの感謝信仰の本質的な原型を物語っています。いつでも、どこでも、何をするにしても、すべてのことに神様に感謝する信仰の姿です。
私たち信仰者は、豊かな実りと豊かさ、繁栄と祝福を受けるために、すべてのことに賛美し、感謝しなければなりません。感謝すべきでしょう。しかし、たとえそうでなくても、ハバククは喜んで感謝するという信仰を歌っているのです。たとえイチジクの木の実がなくても、ぶどうの木の実を得られないとしても、オリーブの木の油を所有できないとしても、羊がなく、牛がなく、植物がないとしても、
私は喜んで感謝するというのです。この貧しさの中の感謝 、逆境の中の感謝、不足の中の感謝、ないことの中の感謝、足りないことの中の感謝、足りないことの中の感謝。
感謝、足りない中での感謝が出来る信仰者。