フィリピ2:9-11
キリストを高く上げられる
9節を見ます。
「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」このように始まります。 つまり、この言葉は、前の箇所を前提として、続けて伝えるという意味です。前の部分を理解しなければ、今日の本文が理解できます。前の御言葉では、イエス様の心を持て、つまりイエス様の態度やイエス様の考えを持てと言いながらイエス様がどのような模範を示されたか?
(1) 6節で神と同等であるにもかかわらず、同等であると思わなかったのです。
(2) 7節で自分を空けられた 召使いが仕える姿で自分を空けられました。
(3) 8節で十字架につくまで服従されたのです。
これを神学的にイエス・キリストの謙遜、または低くなること、つまりエスス様の秘話といいます。
そして、今日の本文では、高くなられることについて伝えている。 つまり、昇天と呼ばれるのです。
私たちの神は低くなられたイエス・キリストを高くされたのです。9節をもう一度見ます。
「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」
すべての名前の上に秀でた名前として、主という名前をくださったのであります。主という言葉がギリシャ語で
キュリオスであるが、ヘブライ語で直すとヤウェであります。だから、旧約聖書には韓国語訳ではヤウェをエホバと呼んでいます。私たちのイエス様に主という名称が与えられたのです。
ここで主という言葉は家主という言葉ではなく、そして土地をたくさん持っている地主の名前でもないのです。
神すなわちヤウェあるいはエホバという名前をギリシャ語で翻訳すると、主、すなわちキュリオスという言葉であります。神はものすごい名前を与えたのであります。その当時、イスラエルのベクソンの人々は神の名前を呼ぶこともなく、聖書を記録していた人々も神の名前が出ると思います。
キリストの名を高く上げられる神様の愛。