フィリピ1:12-18
福音の前進
私たちがやっていることに進歩があり、発展があり、そのような状況が実現したら、どれだけやりがいがあるのか。
事業をしたり、作品を作ったり、進歩や進展があればどれほど良いか。パウロにとっては福音宣教である。 それがパウロの目標であり、目的であっただろう。
ここで言う進歩という言葉は、障害物がたくさんあるが、行く道に障害物がたくさんあるが、それでも嘆きながらも前進することを意味する。して前に進むことを意味する、パウロには様々な困難な問題がたくさんあったそうです。 自分にやられたことがあったにもかかわらず、前進したということです。進んだということです。
私たちがこのコロナ時代に礼拝も中止、人に会うのも中止、海外旅行も中止されました。それにもかかわらず、礼拝がさらに進み、聖徒たちの熱意が進んだ。状況は困難であったが、全てが進展したとしたら、どれほど感謝すべきことだろうか。パウロが福音を伝える上で最も邪悪な状況というのは、おそらく刑務所に行くことである。それにもかかわらず、福音は進展した。と告白している。どのような状況の中で福音の進展が現れたのか?
13節「つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、」ここで、私の拘束とは刑務所を意味する。 そして兵営隊とは軍隊を意味する。特にその当時、兵士たちに福音宣教が可能なことなのか? 韓国には軍宣教会という団体があり、毎年兵士たちにバプテスマを与えています。しかし、ローマの兵士たちに福音を伝える機会を持つことは非常に難しいです。自分の選択ではないのに、自分が追い込まれてここまで来たのだ。 というような状況、どうしようもない状況が誰にでも与えられます。「ケームアイ」つまり、I am put here 私をここに押し込まれた。
それにもかかわらず、合力して善を成し遂げる神を見据える信仰者になることを願っています。
神様の新しい世界が開かれますように祈りましょう。