マタイ福音書13:44-52
これらのことがみなわかったか
今日の聖書箇所には「天の国」に関する3つのたとえが記されています。最初のたとえは、隠された宝を見つけた農夫の喜びについてです。
最初のたとえは、隠された宝を見つけた農夫の喜びについてです。農夫は偶然発見した宝を手に入れるために全財産を捨てますが、この行動は天の国という価値あるものを見つけた際に、他のすべてを犠牲にしても得るべき価値を表しています。この宝は、聖書を通じてキリストと永遠の命という隠れた宝を発見することを象徴しています。
続いての真珠のたとえでは、商人が見つけた高価な真珠に焦点が当てられます。この真珠はキリストを象徴し、商人が全財産を売って真珠を得ることは、キリストと出会い、そのために全てを捨てる信仰者の姿を表しています。
最後は海で様々な魚を捕まえる網にたとえて、天の国について話をしています。このたとえは、信仰者の中に善悪の両方が存在し、最終的に終末の日に神さまが選別することを示唆しています。ここでは、信仰者が他者を排除せず、共に歩む寛容さも求められているのです。
私たちはキリストと出会い、喜びに満ち溢れた経験があることをいつも忘れてはいけません。その大切なことを忘れるたびに、自分にだけ、自分の家族にだけ、自分の周りにいる人にだけ目を向けてしまう私たちがいます。「神の国はあなたがたの間にある」(ルカ17:21)ように、天の国は人と人との間に、関係のなかに現れるのです。今日の天の国のたとえは、一人ひとりに語られるみ言葉でもありますが、私たち一人ひとりを通して他の人を天の国へと招くみ言葉でもあります。
つまり、キリストの弟子である私たちは、今の時代において人と人と関わって生きて行く中で、その天の国を実現していくのです。