フィリピ1:18-26
パウロの優先順位
どんなに信仰が良い人でも、死の前では賛美歌が出たり、感謝が出たりするのでしょうか?
私たちは哲学者ではないが、生きるとは何か? 死とは何か?一度は考えてみる必要がある。
C.S.ルイスが書いた本に、墓石にこう書かれた文章があります。ここに服を着て横たわっていますが、行き場のない無神論者がいます。私が保証します、彼はどこにも行かず、ただ横たわりたいと思っていることでしょう。
非常に深い意味を持つ言葉です。無神論者、つまり神がいないと言う人です。
パウロは自分が死んだら天国に行くという事実について確信を持っていた人です。パウロは死の前で怖がる人ではなかった。 本文21節を見ます。「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」
パウロは、死の前で怯えている者と違うことを知っています。そして23節を見ます。「この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。」
パウロは今、この世に残ることと、天国に行くことの間に挟まれたというのです。しかし、私に選択機会があるならば、この世を離れてキリストと一緒に、天国にいる方がずっと良いのです。と言います。
このように堂々と告白しているパウロの姿です。もし、パウロに選択権があれば、死ぬことを選んだはずです。19節を見ます。「というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。」あなたがたの願いと聖霊の助けによって、私を救いに至らせることができるのです。ここで救いを成し遂げるというのは、天国に行くという意味ではなく、あなたの祈りのために、私がこの刑務所から出獄して生きることを確実に知っているということです。
して生きることを、私は確かに知っているということです。