霊的な成長
コリント(第一)3:1-5
1節「兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に 対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。」、パウロはコリント教会の信たちに信仰の成長に
ついて子どもの乳飲み子のたとえを持ちながら語っています。私たちはどうでしょうか?大人のような信仰者になっているでしょうか?あるいは、未だに乳飲み子のような
状態の信仰者になっているでしょうか?
3-4節「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。」
ある神学者はここに書かれている「肉の人」の意味を自分の願う通りになったら満足する人であると言われています。なぜ、このように成熟しない信仰者になる理由は色々と
ありますが、一番根本的な理由は主イエスと24時間共に
歩まないからです。つまり主を仰ぎ見ないことであります。コリント教会が出来たのはパウロでもなくアポロでも
ありません。コリント教会の基礎は主イエス・キリストであります。5-7節「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」
教会も信仰も神様が成長させるのであります。
11節「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」主イエスの土台の上に据えられた教会は火の試練を
耐えられることであります。12ー15節に具体的事例を
説明しています。