信仰は単純
詩編9:1-10
1節「わたしは心を尽くして主に感謝をささげ/驚くべ き御業をすべて語り伝えよう。」
ダビデは言う驚くべき御業は①3ー8節で神様は悪い者は
裁きます。②9ー12節は神様は神の名を知り、探す人には出会われます。③18ー20節は神様は貧しい者を助けて下さる神様であるとダビデは信じていたのであります。
13節「憐れんでください、主よ死の門からわたしを引き上げてくださる方よ。御覧くださいわたしを憎む者がわたしを苦しめているのを。」
実はこの聖句を見ますとダビデは大変疲れている状況であることが分かります。そうにも関わらずダビデの心はいじけないままであります。9,11,18節を見ましょう。
9節「虐げられている人に主が砦の塔となってくださるように苦難の時の砦の塔となってくださるように。」
11節「シオンにいます主をほめ歌い/諸国の民に御業を告げ知らせよ。」18節「乏しい人は永遠に忘れられることなく貧しい人の希望は決して失われない。」
これを見ますとダビデは祈るだけではなく、霊的に目が開かれいるのであります。しかし、そのような難しい状況の中でもダビデの信仰は揺れ動かなかったことは10節であります。10節「主よ、御名を知る人はあなたに依り頼む。あなたを尋ね求める人は見捨てられることがない。」ダビデは主の名をしているひとであります。
ですから信仰者は神様の名を知り、その方がを信じることであります。サムエル下22:2-3節「主はわたしの岩、砦、逃れ場、わたしの神、大岩、 避けどころわたしの盾、救いの角、砦の塔。わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え不法から救ってくださる方。」、これはダビデは神様の名を知識的に知るの
ではなく、生活の中で経験したことであります。
私たちもこのような経験して行く信仰者になりましょう。主により頼み、主の御名を求めることは大切であります。詩編23:1節「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」私たちはこれから素直に信仰する単純な信仰を手にして行きましょう。