四旬節第2週、
イエス・キリストは昇天される前に500人の前で世に出かけて福音を宣べ伝える命令しました。これを教会の用語では「地上大命令」あるいは、「宣教の大委任」と表現します。この教えを通して宣教をどのように行うのかを語っているのでしょうか。この聖書箇所では3つのことを教えています。①宣布する宣教、②教える宣教、③守らせる宣教が語られています。1.宣教の大委任、①洗礼を授ける宣教(コリント第一2:1-5)、洗礼はイエス・キリストを主として、救い主として告白し、キリスト者としての信仰告白であります。信者はこのようなことを通してキリストを頭とし、聖なる教会員の一員であることを自覚する。
初代教会では新しい人が加わる時、洗礼を授けたのです②教える宣教。(使徒11:26)神様の御言葉を伝えるにおいて二つの区分がある場合は適切に教えて養育」することです。宣教において教えの機能は、この二つが適切に融和される効果的に表示されます。
宣教の任務を余裕レベルに成長した信者を「弟子」といいます。③守らせる宣教(テモテ第二4:7)、福音を伝えることも重要だが、それを行い、守らせることは、さらに必要になります。仰を最後まで維持していない信者は、疑いと世界の懸念に目が暗くなります。私たちは、そのような人々に信仰を最後まで守って神を信頼できるように導くべきでしょう。2.宣教の主体となる聖霊。(使徒1:8)見るには、すべての条件が完全に利用されているにもかかわら失敗した場合は、それは、まったくその逆の状況の中でも、驚くべき結果をもたらす場合があります。
そのことは、聖霊とどのような関係を維持することでしょう。宣教の主体である聖霊は信徒たちを通じて御業を現し、宣教の働きを遂行することにおられます。
3.仕える人の使命(コリント第一9:16-17)
宣教は信徒にゆだねられ避けられない使命です。実を結ぶ者には神様から報いがあるでしょう。したがって、主が私たちに与えられた宣教の大委任は天使たちもうらやむ働きです。伝道を効果的に行うには、私たちの力だけではなく、必ず聖霊と一緒にする必要があります。
福音を自分一人で感じて救われた者になってはなりません。福音を伝えることができる機会を願い求めて努力しなければなりません。