2018.12.02 「わたしの民を慰めよ」 イザヤ 40:1- 8

武庫川教会 0 612

待降節(アドベント第一週)    

わたしの民を慰めよ

イザヤ40:1-8

 

本日、2018年度の待降節(アドベント第一週)を迎えれました。マザーテレサはこの世で一番大きな病は結核や重い皮膚病ではなく、誰も面倒せず、誰も慰めてくれる人がいないこと、誰も愛してくれず、誰も必要としないことが一番恐ろしい病であると言われました。この世にはパンがなくて死ぬ人も居ますが、愛がなく死んで行く人もいます。教会は毎年聖誕節を迎えます。皆様は聖誕節の意味をどのように理解し、受け入れているでしょうか。40:1節「慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。」

何を持って慰められたらよいでしょうか?もしかしたらそれが「パン」、あるいは「職業」かもしれません。このようなことより「希望」が一番よい慰めでは

ないでしょうか。今日の本文ではメシアの待望です。

5節「主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」、信仰者にとって一番よい慰めは未来への希望です。

ルカ15:11-32節に書かれている「放蕩息子」の

話は息子が帰ってくる、彼は未来のことを考えました。彼は未来に対する確信がありました。それを

信仰であると言われています。そして、彼はお父さんの約束を信頼しました。お父さんの心が広いことも

覚えていました。彼のお父さんは過去のことを聞かなかったのです。イエス・キリストの福音を受け入れる

ことは謙遜になることです。パリサイ派的な高慢は

いけません。自分を低くすることにより主イエスを

迎えやすくなります。福音を受け入れることに何の抵抗もありません。あなたの罪が赦されたことも受け入れやすいです。そうするためには心が貧しいものに

ならなければなりません。これから聖誕節を迎えて

希望をもって行く信仰者になりましょう。

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