私たちを導く主(詩編48:1-11)
2,3,5節「大いなる主、限りなく賛美される主。 わたしたちの神の都にある聖なる山は、高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。」この聖句を見ますとイスラエルに行きたがるようになります。そして、13,14節「シオンの周りをひと巡りして見よ。塔の数をかぞえ、城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ。」ここに書かれているエルサレム城より、より高く、素晴らしい城が世界中には多く存在します。しかし、詩編を書いた著者はなぜ、このように誉めているでしょうか?それは言うまでもなく、全能の神、救い主が臨在している場所であるからであります。
その場所がシオンの山であります。その理由で違うように
見えると言うことであります。このように神様がおられる
ことは祝福であるからであります。
3,5,10節「高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。神よ、神殿にあってわたしたちはあなたの慈しみを思い描く。」
神様はどのような人を探し、愛してくれるでしょうか?
神様に愛される人の特徴はどうでしょうか?
11-12節「神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。右の御手には正しさが溢れている。
あなたの裁きのゆえに、シオンの山は喜び祝い、ユダのおとめらは喜び躍る。」もう一つは14節「城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ」
神様が導く人、神様が共におられる人は状況が変わっても
信仰は変わりがありません。揺れ動かない信仰。
未だに神様が共におられることに対して自身がない方、
確信がない方は本日の聖書を通して固く信じて行く信仰を
手にして行こうではありませんか?
コリント(第一)1:27-29節「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。