四旬節第二週 十字架と救い
ヨハネ 3:16
四旬節第二週になりました。コロナ禍の中の四旬節期間は
より主の御苦しみを深く感じられます。
キリスト教会で一番重要な教理は主イエスの十字架であります。キリスト教の福音の核心はやはり十字架と救いであります。誰でも主の十字架を信じれば、救われることであります。健康な信仰、健全な信仰のために救いの確信を
もつことはどれほど大事でありますか?
救いの確信を持つ人はこの世のことに対する欲はなくなり
ます。それは神の国の希望を抱いてあるからであります。
自分が持っているものが一番良いものであることの確信が
ある人は他の事には欲がありません。
自分の中の欲を捨てることが出来れば、何と素晴らしいで
しょうか?ヤコブ1:13-15節「誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。 むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
欲がない人は高慢になりません。謙遜な人であります。
柔和な人であります。弱いけれどもあせりはしないのであります。確信を持つ人は絶望と不安がなくなります。
人間は絶望と不安やいらだつは人間は死に至らせることに
なります。世のどんなことでも不安といらだつから救いを
与えられません。権力やお金があれば解決が出来るかなと
思われますが、それは大間違いであります。
救いの確信を持っている人は希望と平安が満ちるのであります。信じる人と信じない人の違い、確信がある人と確信がない人との違いは全然違います。
本当の信仰を持っている人は試練があっても気をおとしません。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。