正義を求める信仰
詩編72編1-7(韓1-7)
8-11節 「王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように。砂漠に住む者が彼の前に身を屈め敵が 塵をなめますように。タルシシュや島々の王が献げ物をシェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。すべての王が彼の前にひれ伏しすべての 国が彼に仕えますように。」
8節 「王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように」、
11節 「すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。」
ダビデはどうでしょうか? お父さんである人はこのように
祈るでしょう。ダビデは自分の息子のソロモンが国を支配する間に正義が繁栄されることを祈っています。
7節 「生涯、神に従う者として栄え月の失われるときまでも豊かな平和に恵まれますように。」
ダビデは自分の死が近くなっていたことを知るようなことでしょう。人は死が近くなると正直になるということです。
7節のダビデの祈りは真の祈りであります。なぜ、ダビデはこのように祈ったでしょうか?
それは裁判の問題でした。 ダビデの心は特別でした。その当時の王は裁判の仕事もしましたが、ダビデはそれが
苦手な王でした。ダビデは王の仕事は神様の代わりに民を治めることであると理解したのです。
そして、王になって裁判をして見たら大変なことであることを気がつきました。どのようにしたら正しいことかを判断が難しいことであります。特にダビデは貧しい人、弱い立場の人が気になりました。どの時代でも弱い人は公正な裁判を受けることが難しいです。弁護士を使うお金もありませんから、貧しい人は悔しいことが多くある時代でした。
自分が王であるから自分が持ってる権力を振りまうような王ではなかったのであります。
ダビデは自分は貧しい人や弱い人のために存在する王であると思った王でありました。
だからダビデは神様の御心に適う人でありました。