真の信仰とは?
詩編71:1-8(韓1-8)
1-4節 「御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく、恵みの御業によって助け、逃れさせてください。あなたの耳をわたしに傾け、お救いください。 常に身を避けるための住まい、岩となりわたしを救おうと定めてください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。わたしの神よ、あなたに逆らう者の手から悪事を働く者、不法を働く者の手からわたしを逃れさせてください。」
神様が救って下さることを確信しているとことです。
厳しい状況であっても自分には希望があります。
5節 「主よ、あなたはわたしの希望。主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み」
神様がおられないところでは完全な絶望であります。
神様がなければ立つことができません。
神様を信じる時、絶望的な状況の中でも自分に希望があります。その根拠はどこにありますか?
希望は神様から出れるということであります。
10-11節 「敵がわたしのことを話し合いわたしの命をうかがう者が共に謀り、言っています「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」と
ここで詩編を書いた人も神様が自分を見捨てると考えています。敵ではなく自分自身も見捨てられているように感じているように思うのです。
12節 「神よ、わたしを遠く離れないでください。わたしの神よ、今すぐわたしをお助けください。」
詩編を書いた人は神様は自分を愛して、自分を救ってくださることを思っています。神様の御心が理解出来ないのです。
16節 しかし主よ、わたしの主よわたしは力を 奮い起こして進みいでひたすら恵みの御業を唱えましょう。
どれほど辛いのか? 一つ、二つではなく、多くの問題が重ねているようせあります。
20節 あなたは多くの災いと苦しみを/わたしに思い知らせられましたが再び命を得させてくださるでしょう。地の深い淵から再び引き上げてくださるでしょう。