切迫したお祈り
詩編70:2-6(韓1-5)
詩編70編は短い詩編ですが、ダビデがとっても厳しい状況の中、絶望の中で神様に祈りを捧げています。
つまり、切迫した祈りであります。
私たちはダビデを信仰の人であることを学んできました。
しかし、本文を見ますと信仰者であるように見えません。
そもそもダビデをたくましい信仰者であるように言われて
います。けれでも2節から助けて下さいと叫んでいます。
信仰の勇者であるならば、苦難も感謝します。
今の厳しい状況でも感謝します。と思うような部分です。
ダビデも人間であることは間違いないです。私たちがこの
ような状況に置かれた時、感謝しながら祈ることができますか?
本当に神様が生きておられ、全てご存じであるお方ですから、
状況を知っておられますから、助けて下さいと叫んで祈る前に救ってくださればよいのに、
叫んで祈っても助けてくださらないのです。私たちの中でも
ダビデのように切迫した祈りをしている方がいるでしょう。
そして、その切迫した祈りを経験した方もいるでしょう。
しかし、ダビデの信仰は全然見えないように見えるかも
知れません。2節「神よ、速やかにわたしを救い出し/主よ、わたしを助けてください。」
特に「主よ、わたしを助けてください。」と言葉の中には神様に慈しみが隠れています。そして5節「神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。速やかにわたしを訪れてください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。主よ、遅れないでください。」ここにも神様の優しくて寛大なお方であることが見えます。
確かにダビデは一粒の種のような信仰があれば、神様は哀れみ深いお方ですから自分の祈りに傾けて下さることを信じていました。しかし、このようなお方ですが、罪をもったもっている人は神様の前には出られません。
罪がない時に神様は私たちの切つなる祈り、切迫した祈りを聞いて下さるのです。私たちもダビデのように神様を信頼し、祈り求めて行きましょう。