恵みの冠を授ける主
詩編65編:2-6(韓1-5)
2節「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。]
そのような厳しいい環境の中で賛美を捧げるダビデの
信仰。ダビデの信仰告白でもあります。
そして10節以下「お与えになる多くのしるしを見て/地の果てに住む民は畏れ敬い朝と夕べの出で立つところには/喜びの歌が響きます。あなたは地に臨んで水を与え豊かさを加えられます。神の水路は水をたたえ、地は穀物を備えます。あなたがそのように地を備え、畝を潤し、土をならし豊かな雨を注いで柔らかにし芽生えたものを祝福してくださるからです。あなたは豊作の年を冠として地に授けら れます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。荒れ野の原にも滴りどの丘も喜びを帯とし牧場羊の群れには装われ谷は麦に覆われています。ものみな歌い、喜びの
叫びをあげています。」
ですから10-15節の文書を読みますと私たちもこように祝福されたら賛美をするでしょう。しかし、詩編65編は一年中が豊かな実りと祝福の最乗があったからそのように賛美をしたわけでもありません。
その理由が3-6節「祈りを聞いてくださる神よすべて肉なるものはあなたのもとに来ます。罪の数々がわたしを
圧倒します。背いたわたしたちをあなたは贖ってくださいます。いかに幸いなことでしょうあなたに選ばれ、 近づけられあなたの庭に宿る人は。恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によってわたしたちが満ち足りますように。わたしたちの救いの神よあなたの恐るべき御業が
わたしたちへのふさわしい答えでありますように。遠い海、地の果てに至るまですべてのものがあなたに依り頼みます」4-5節には数々の罪が許された恵みに対して賛美を
捧げます。次は7-9節で神様が創造された自然を見て
神様に栄光を帰する賛美を捧げるようになります。
11-14節で神様の恵により収穫の実りが与えられたことに感謝して賛美を捧げます。ですから賛美は神様からいただき恵みであります。神様の恵みがなければ賛美も出来ないのです。賛美が出来る恵みに感謝しましょう。