ただ、主に向かう
詩編62編:2-9(韓1-8)
2節「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。」ダビデは今自分に語っているのが、「ただ神に向かう」ように語っています。
6節「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。」
ここも同じようにダビデは自分に語っているのです。
「沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。」と語っているのです。
人間に向かうことより神様に向かうようにダビデは語っているのです。それが信仰です。
ダビデの信仰は「沈黙」するように語っているのです。
信仰は目に見えるものより、目に見えない神様を向かうことです。しかし、多くの人々は神様が生きておられるならば、なぜ、悪いことが起こるのですか?
コロナはなぜ、このように長引くなるのですか?
なぜ、戦争が起こるのですか? 神様がおられるならば、
なぜ、戦争や自然災害が起こるのですか?
しかし、ダビデにとって神様は自分の避け所、神様は自分の山岩、神様は私の救い主であると告白しています。
ひたすらダビデの信仰は「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。」と告白しています。
私たちが沈黙して主に向かう時、心から怒りも出てくる
かも知れません。それはサタンの誘惑であります。
コロサイ1:26-27節「世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画が、今や、神の聖なる者たちに明らかにされたのです。
この秘められた計画が異邦人にとってどれほど栄光に満ちたものであるかを、神は彼らに知らせようとされました。その計画とは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」パウロはイエス・キリストが私たちの中に
おられる方であると語っています。しかし、これを知識的に思うことでは霊的な力はありません。福音を知るだけではなく信じる信仰者になりませんか?
ただ、主のみを向かえて行く信仰者になりましょう。