主は私たちの避け所
詩編61編:1-8(日2-8)
2節「神よ、わたしの叫びを聞き/わたしの祈りに 耳を傾けてください。」、ダビデは忍耐しにくい状況の中で祈っているのです。そんな叫ばなくてもよいでしょう。
神様は静かに祈っても聞いて下さるお方ですよ。
しかし、ダビデのような厳しい状況の中であった場合は
なかなか静かには祈ることは難しいと思います。叫んで
祈らざる得ないでしょう。
3節「心が挫けるとき/地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に/わたしを導いてください。」
ダビデは自分の心が挫けていると告白しています。
ダビデは単純な苦しみではなく、自分の息子のアブサロム
の反逆により避難している状況であります。
肉体的にもつらいですが、特に心が挫けていると言われて
ますからどんなにつらい気持ちなのかを分かります。
ダビデの表現は「地の果てからあなたを呼びます」
この文書で十分にダビデの心境が理解出来ます。
1節と2節の雰囲気は完全に変わっていることが分かります。神様を岩山の山に表現しています。そして、4節「あなたは常にわたしの避けどころ敵に対する力強い塔となってくださいます。」ここでダビデは神様の存在を悟りました。神様はいつも自分にとっては避け所になってくださる
お方でした。いつのまにか自分は王であることで神様に
より頼むこと、自分はアブサロムの父であることに対する
確信がより強いダビデでした。しかし、そのような状況から6節「神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り御名を畏れる人に継ぐべきものをお与えになります。」
ダビデは今の状況は平安に暮らすような状況でもないのに、まだ、避難生活中で、このように心の中に平安が訪れ
ました。7-8節「王の日々になお日々を加え/その年月を代々に永らえさせてください。王が神の前にあってとこしえの王座につき慈しみとまことに守られますように。」
自分が王になりましたが、神様が守って下さらないと意味がないことを悟りました。ダビデはいつも悟る人でした。
私たちも主の御声を聞き、悟る信仰者になりましょう。