(聖誕節)
イザヤ書40:1-8
わたしの民を慰めよ
2022年度聖誕節を迎えれました。真に主イエスの御降誕を心より感謝します。
1978年ローマ教皇のヨハネ・パウロ1世が召されましたが、彼は就任して33日後のことでした。
彼が残した日記の一部を紹介しますと、「豊かな人々よ貧しい人々を覚えよう、職場を持っている人々よ、無職の人々を覚えよう、健康な人々よ、病の人々を覚えよう、他人のために悲しんで人々は幸いであります。」と言う日記がありました。聖誕節を迎える人々の心構えはやはり慰めの心でありましょう。
本文の1節「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。」
ここでは2回も「慰めよ」書かれています。イザヤ時代のイスラエルはどのような状況であっかたをよく表現して
います。現代の人々にはどんな慰めが必要ですか?パンですか? 衣服ですか? 職場ですか?
どのようにしたら慰められますか?
私たちの周りに慰めの言葉を言える友たちや友人がいますか? 学校でもそのような先生がいますか?
政治家の中でもそのような指導者や政治家がいますか?
本日の本文はメシヤの待望が書かれている聖書です。
イザヤの時代は暗黒の時代であったと言われています。
つまり、本文は福音の聖書であります。福音の一番大事なことは悔い改めであります。メシヤが来られることは
私たちの罪が赦されることでもありましょう。救われることが出来ない人が救われるのです。
私たちは現実なものばかりではなく、未来、つまり神の国をみることが大切であります。過去から離れなければ、未来は見えません。自分を捨てることであります。
そして、メシヤが来られることは赦しの意味をします。救われることが出来ない人々が赦しの意味をします。
イザヤ7:14節「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
聖誕節は主イエスがメシヤとして人類を救いや罪を赦すためにこられた日であることを覚えて迎えましょう