(待降節第三週)
希望を持った人の選択
申命記 30:15-20
私たちはつねに人生の中で選択の重要性を感じているのです。
大事な瞬間ことにどのように選択したら良い迷うのです。
カウマンと言う人は「私たち同時に東西の旅行が出来ないし、当時に北極と南極にふさわしい衣服を着ることは不可能です。どちらかを選択しなければなりません。テレビも全ての番組を見ることは不可能です。
どちらかを選択しなければなりません。創世記13章にはアブラハムとロトの選択の話が書かれています。本文の15節「見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。」神様はイスラエルの民に「命と幸い、死と災い」置くので正しい選択を求めておられています。
神様から頂いた律法を守り、従って行く人には「命と幸い」が与えられますが、しかし、守らない人には「死と災い」があると言うことであります。人間は誰でも「命と幸い」をいただきたいのであります。決して、「死と災い」をいただきたいと願う人はいなのです。
16節に具体的な説明が書かれています。「わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。」
選択と言うのはどれが良いのかを決める価値判断が伴います。その当時のイスラエル民は神様の律法を守るよりはカナンの地にある偶像やその土地の文化を選択していくのを望んだので、神様の裁きを受けるようになります。そもそも「命と幸い、死と災い」と言うものは目に見える
ものではないし、目の前では判断が難しいのであります。人々は命に導く神様の御言葉は重荷を感じるのです。
イスラエル民も神様の御言葉を選択することに躊躇したのです。神様は私たちがこの世の欲望あきらめることを
願っています。神様の国は狭い道に見られるのです。
救いはイエス・キリストにあります。待降節はメシヤを待ち望む季節であります。主イエス・キリストの御降誕を待ち望む信仰を手にして行きましょう。