創世記11:1-9
秩序の神様に従う信仰
4節「彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。ここでは人間の堕落を神様に対決するように展開している構造であります。さらに3-4節には人間が神様に不従順の結果を記しています。3-4節「彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。」そのように不従順な人間をご覧になられた神様の反応は7節「我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」さらに4節の人間の姿をご覧になられた神様の反応は5節「主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、」しかし、他の聖書にはこのような表現が記されていません。
4節のように人間の姿に対して神様は9節で「 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」
このように人間と対決構造の聖書は創世記2:16-17節「主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」このような部分に対してサタンの反応は創世記3:4節「蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。」
神様は食べると必ず死ぬと語りましたが、サタンは死ぬことはないと言うのです。つまり、人間の不従順が神様と対決構造に展開されていくことを聖書から知ることが出来ます。人間は神様の創造の秩序に従うべきです。神様に言葉に従い、主の命令に従って生きるべきです。
その秩序に逆らうと人間は不幸になります。被造物である人間が真に生きることは神の秩序に従う信仰です。