フィラデルフィア教会に送る手紙
黙示録3:7-13
7節「フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持つ方、この方が開けると、だれも閉じることなく、閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。
ここで「ダビデの鍵」はイザヤ書22章の背景ですが、神様の国の宝石倉庫の鍵は主イエスが持っておられるお方です。その方が明けると閉める人もいないし、閉めると開ける人がいないと言う意味です。教会の祝福も神様が与えてくださるのです。教会のリバイバルも神様の力によるものです。8節「「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。ここで「門を開いて」と言う意味は宣教と関連しているのです。
フィラデルフィアと言う都市はローマと小アジアを繋ぐ町でありました。ですからここには事業家、軍人、観光客などがこの町に訪れるのです。つまり、伝道は自分の力で出来るのではなく、神様の力により可能であります。コリント第二2章12節「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、」ここでもわたしのために門が開かれていることはその地域に伝道の門が開かれていることです。フィラデルフィアにある教会にもそのような状況になっていることであります。使徒14:27-28節「それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。
聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。
8節「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。
弱いフィラデルフィアにある教会のような教会でも主は見ておられることを確信して行きましょう。