(四旬節第五週)
苦しみを超える喜び
ヨハネ16:20-24
16節以下を見ると、これからイエス様が弟子たちから離れることを語っています。16節「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
しかし、主はしばらくは悲しんでるかも知れないが、その悲しみが変わり喜びになるんだと語っています。
20節「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」
16-19節の間に「しばらくすると」と言う言葉は7回出て来ます。しかし、この言葉の意味は短い時間を指して
います。もう一つは象徴的な長い時間の概念である。
実際、主は公生涯を三年半あまりの時間ですが、主イエスは「しばらくすると」と言う表現をしています。
ヨハネ12:35節イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。」
そして、20節「悲しむ」と言う言葉はここしか書いておりません。マタイ11:17節、ルカ7:32節で
そもそも主イエスの死は弟子たちに「悲しむ」ことになることを強調しています。弟子たちが悲しむことになる
ことを示しています。主イエスはご自分の死により弟子たちの心が動揺してもとの職場や家庭に去って行くことを知っておられたお方です。今日の本文は悲しむことを強調しています。しかし、20節「その悲しみは喜びに変わる。」主イエスは悲しむことの代わりに喜びを与えるのではなく、悲しむことが喜びに変わるのだと強調しています。主イエスの十字架は最初は弟子たちには悲しむことの原因になりましたが、後には「喜び」の原因となりました。復活を信じない人には恥やからかうことの対象になりますが、復活を信じる人には十字架は悲しむことが喜びに変わる力になります。
今年の四旬節は十字架を黙想する時間になりましょう。悲しむことが変わり喜びになることを体験する四旬節になりましょう。