四旬節第三週
十字架で流される力
コリント(第一)1:18
四旬節第三週を迎えました。コリント(第一)1:18節「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」十字架は教会を象徴します。十字架は福音の核心であります。そもそも十字架は聖書の骨組みであります。
コリント(第一)2:2節「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」パウロが言われている十字架の言葉は罪を悟らせる力であります。罪を犯した人にとっては自分の罪を悟ることは大変重要なことです。そもそもそれは力であると聖書は言われています。ルカ5:8節「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。」十字架は私たちの罪を悟る力であります。
だれでも罪を悟ることは出来ないのです。
パウロも十字架の主イエスに出会った後、自分の罪を悟りました。テモテ(第一)1:15節「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」このように告白することは十字架の力であります。罪を悟らせることは神様の恵みであります。私たちは罪のよって死ぬべきものでしたが、イエス様が代わりに死んでくださいました。
それを聖書は恵みであると言われています。それを悟らせるのが十字架の力であります。
他の宗教と違いは十字架の贖いによって罪が赦されると言うことです。罪の解決は十字架のみです。
修行や人間の努力などでは無理であります。十字架の力は病を癒す力があります。マタイ8:17節
「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。」、
そして、十字架の力は復活の力です。十字架の力を経験する四旬節。