寄留者であるキリスト者の望み
ペトロ(第一)1:1-2
こ御承知のように、新約聖書に含まれている手紙が書かれた頃、すなわち、それは、「誰から誰へ」ということで
あります。聖書の中にただ、ペテロにしても、世間(せけん)話しや一般の挨拶の言葉を用いないですね。まず、『恵みと平和が、あなたがたに益々、豊かに与えられるように』という最も福音的なものであります。私たちが受けることの出来る最大なもの、また、究極的な幸いを祈る、祝福の祈りに変えたのであります。しかし、1節に注目しますと、「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア」ここで記されいる地名はその当時、ローマ帝国の支配下にあった。小アジアの地方でありました。
使徒の働きや、パウロ自身の手紙によれば、小アジアのこれらの小地方に伝道し、教会の基礎を据えたのは、使徒パウロでありまして、使徒ペテロがここに記されて小アジアの地方に伝道して、そのいずれかの教会の基礎を据えたのか? どうか?、あるいはまたペテロが実際にこれらの地方の教会を基礎を据えたのか?どうか、あるいは、またペテロが実際にこれらの地方の教会を訪れることがあったか、どうかは分かりませんが、確かにテキストの1章12節後半をご覧になりますと、使徒ペテロは、主イエス・キリストの受難と、その救いについて11節まで、語った後に12節で「彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが今、あなたがたに告げ知らせており天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。」と言っております。これらの地方に、始めて伝道したのは、他の弟子たち、多分パウロであったと多くの学者たちは、推測しております。しかし、ペテロは小アジアのこれらの地方にあるキリスト者教会が苦難、困難となどと思われるような試練や試みのただ中にいることを知りました。
キリスト者として希望がありますか?