創世記12:1-5
すぐに従う信仰
1節「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」
出エジプト3:10節「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」神様がモーせに語りました。それを聞いたモーセの反応が11節「モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」しかし、モーセは主にすぐに従う信仰がなかったのです。さて、モーセとは違い、すぐに従った人がいます。マルコ1:17節「イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。と書かれています。主の話を聞いたシモンとシモンの兄弟アンデレは18節「二人はすぐに網を捨てて従った。」となっています。何と素晴らしい決断でしょうか?私たちはこのような信仰の決断が出来るでしょうか?
どうしてこのようにすぐに従うことが出来ましたか?
それは言うまでもなく、主イエスの言葉が真理でありことを信じたと思います。本日の本文に登場するアブラハムもすぐに従うことが出来たことは神様の命令であるからと言えるでしょう。神様は1節でアブラハムに3つのことを命令するのが分かりました。
つまり、「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。」
人間は心理学的に慣れた環境から離れたくないのです。慣れた環境は安定感を与えるからそこから離れることは勇気がいるのです。特に若い人ではなく、75才もなっているアブラハムにとっては大変厳しい命令でありました。人間の倦怠感は慣れていたことから来るのです。倦怠感が来る前に慣れていた環境から離れることが出来る
人は成熟した人間であります。しかし、人間はその環境から離れたくないのです。
信仰もそうです。マンネリ化することは生ぬるい信仰になる可能性があります。