(待降節第一週)
待降節の歌
イザヤ書 54:1-3
今日は待降節の第一主日礼拝です。
この小さなろうそくの灯りと共に、私たちの心は小さな鳥となって空に飛んで行ったようです。
私たちは赤ちゃんのイエスを歓迎する心で、再び来られる栄光の主を待つ心で小さなろうそくを灯しました。私たちの小さな心が空に届けば、神様は私たちの待つことを許してくださるのではないでしょうか?
私たちのために用意されたその偉大な贈り物をすべて送った後、主が再び来られるのではないでしょうか?
今日の本文の御言葉には、主の到来を待っている間に、人類のために用意された偉大さを体験する人々が紹介されています。イザヤはメシアを待ち望むイスラエル民族に次のように宣言します。
1節「喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ歓声をあげ、喜び歌え産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは夫ある女の子供らよりも数多くなると主は言われる」
イスラエル民族はメシアを待ち望む民族でした。旧約聖書を見ると、メシアの来臨について300回以上も記録されています。このメシアを待つイスラエル民族にどんなことが起こりますか?
神様は罪を犯したこの民族をバビロンの捕虜に送ります。バビロンの捕虜生活をしながらイスラエル民族がメシアを待ってた姿は極めて凄まじい姿でした。
イザヤはメシアを待つイスラエル民族の姿を妊娠できなかった女性、一人の女性の姿で紹介しています。
イスラエル民族は捕虜生活の中でメシアを待っていました。妊娠することを望む女、一人になった者が子どもを産みたいと願う絶望の姿を抱いて待ちました。
今日の私たちはすでにメシアとして来られたキリストを信じています。なんと素晴らしいことでありますか?
今年の待降節も喜びに満ちた時間になりましょう。
待降節期間に祈りと聖書を黙想しましょう。