手をさしのべる主
マルコ書1:40-42
今日の本文はハンセン病患者が主の前に出てきて癒しを懇願するような内容である。実はこの本文はマタイ8章1-4、ルカ5章12-16にも登場する言葉である。
このように福音書に同じ出来事がすべて登場するのは、この出来事が私たちに与える教訓が非常に貴重だからだである。今日、私たちがコロナ禍のため、社会的距離、14日間の隔離など、このようなことが社会問題として浮上しています。旧約聖書のハンセン病患者に対する規定がレビ記13章45-46節に記録されています。
当時も今も、ハンセン病患者は隔離するのです。 一人で陣営の外で生活するそうです。
当時、ハンセン病は神様が裁かれた病気だと考えた。 そして、その患者は一生、私は罪人だと告白して生きる病気だ。告白しながら生きていく病気であります。。 皮膚が腐っていく病気なので、人々は不浄な病気だと言います。そしてハンセン病患者が正常な人に会うと、私は不潔だ不潔だと叫んで正常な人にハンセン病が移らないようにする。普通の人にハンセン病が移らないようにするのであります。しかし、ハンセン病患者がこう叫ばなければ、石で打って殺しても何の罪にもならないのが当時の律法である。ハンセン病患者の苦しみ、孤独である病気になっただけでも心が痛いのに、親や兄弟、友人の慰めが切実に必要な状況です。必要な状況なのに、一人で暮らしますが、陣営の外で暮らさなければならないそうです
私たちが今、コロナ禍のために海外に行くと14日間の隔離をするのですが、みんな大変だと言っています。
しかし、ハンセン病患者は一生、いや、治るその日まで、治らなければ死ぬその日まで一人で生きていくそうです。
ですから、どれほど孤独で寂しい時間を過ごすのでしょうか。そして、当時も今も、ハンセン病患者を見てどれだけ非難するのでしょうか。だから、恥と恥ずかしさは言葉では言い表せない。したがって、当時のハンセン病は不治の病なので、将来に対する恐怖である。その病気にかかったら希望がないのである。