考えの違う弟子たち
マルコ書1:35-39
今日の本文の背景は、イエス様が正式な働き始め、悪魔を追い出し、シナゴーグで教え、このような働きが始まると、良い噂が広まり始め、そして一方では人々が熱狂的になり主のもとに人々が集まり始める。人々は皆驚いて、論じ合った。27節「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」そして、28節と32節を見ます、28節「イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。」32節「夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。」
この言葉を見ると、今の状況がどのような状況なのかが把握できる言葉である。このようにイエス様について良い噂が広まっていき、イエス様に対する反応がとてもポジティブで、熱狂する姿が登場します。
イエス様と弟子たちが同じ状況を経験しています。しかし、重要なのは、このような状況の中で、イエス様の反応と弟子たちの反応が違うということです。イエス様の反応を見ましょう。
35節「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
どんな状況か分かるでしょうか?
人々が熱狂して集まってくる群衆に対して影響を受けない姿であります。主はいつも通りに自分の生活をして いるということである。しかし、弟子たちの様子はどうでしょうか?彼らはこのような状況を見て非常に興奮している。弟子たちは今エシュは祈るために静かな場所に行ったが、エシュを訪ねて話をする。群衆が興奮し、熱狂し、集まってきているのに、イエス様はこのように暇そうに祈り続けているのですか?イエス様、早くその現場に出てください、群衆が集まってくる時にこの機会を失ってはいけません。というような雰囲気がこの御言葉にあります。このような弟子たちの言葉にイエス様は揺るがないです。