忍耐がある信仰
創世記16:1-6
聖書では「忍耐」と言う言葉がたくさん登場します。
ローマ5:3-4節「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」ヤコブの手紙1:4節 「あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」アブラハムは15章で神様と燃える松明の契約を結び、
約束のしるしを経験しました。本日の本文にはアブラハムとサライは神様の約束を人間的な方法で試した結果、問題を起こしてしまいました。神様の御心を人間的な方法を試すことや神様の約束を忍耐を待つことが出来なくなると失敗になることを教えています。1-2節を見てください。1-2節「アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。」もちろん、アブラムは子どもが生まれないことに対して、信仰的にも悩みがあったと思います。そのような状況の中でアブラハムの心配と間違った解決方法の選択により大きな問題が生じたのです。このようなことは信仰的な面にも悪い結果が生じるのです。神様の約束を人間的な方法で解決しようとする時には失敗の結果があることを教えています。主が子供を与えてないのではなく、神の時ではないからです。神様はご自分の時に働くのです。1節で「ハガル」と言う名前は「逃げる」と言う意味です。2節「主はわたしに子供を授けてくださいません。」という言葉は自分が不妊になっていることは神様が子どもを授けてくださらないからであると不満を語っています。アブラムの妻サライも神様が子供を授けてくださるまで忍耐しながら祈り求める信仰者ではなかったんです。