小さなことに忠実
マルコ書1:14-20
15節「「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」ここで語っていることがなぜ、大事でしょうか? それは「神の国」ついて語っているからです。イエス・キリストが病を癒すこと、多くのしるしと奇跡を行ったことは神の国はどういう意味なのかを教えるためでした。15節で「時は満ち」という言葉と
「神の国は近づいた」という言葉です。
さて、「時が満ち」と言うことはその時を定めた方がおられると言う意味します。その方が神様です。ここで神様の主権と言うものが現わされます。
ガラテヤ4:4節「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」そして、「神の国」は秩序の国です。ここで神の国は場所の問題ではなく、領域の問題です。
つまり、統治権の問題です。そもそも統治する方は神様です。その方が納めるのです。
15節でイエス・キリストは神の国を語りながら2つのことを命令しています。(1)悔改める、(2)福音を
信じることです。さて、悔い改めることは方向転換、心の変化、それは今まで自分たちが信頼して来たもの、頼ったものから方向転換することを意味します。神様を知らない時、あるいは神の国を知らない時、自分が
頼ってきたものから方向転換することです。
次に「信じる」ことは知識的、あるいは理論的に信じるのではなく、献身的に信じることを意味します。
時が満ち、神の国が近づいていることを知識的に信じるのではなく、心から献身的に信じる信仰を現わしています。主イエス・キリストは最初の働きを神の国を紹介しています。主イエスは神の国に働ける人々を探しておられるのです。16-17節「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。」