切に求める信仰
創世記15:7-11
1節「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」私たちも切迫されて祈ったことがありますか?
さて、2節「アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」この聖書箇所を偏見して見ると誤解される部分です。
信仰がない人のように見えるでしょう。アブラハムの無礼な言葉でしょう。しかし、そのような状況の中でも神様はアブラハムの話を受容しるのです。それは誰よりもアブラハムのことを神様がご存じているからです。しかし、アブラハムは子どもがないことで切に求めていたからです。切迫しているからです。今のアブラハムは神様の指示通りに従って来たのです。しかし、約束した子どもがいなかったのです。私たちも祈りをたくさんしても恐れを感じる場合があるのです。心配もあるのです。そもそもそのような切迫した心や恐れを持ってもそれらを乗り越える力は主に求めることです。今は辛いし、未来が見えない、希望もない時に、切に主の前に行き、求めることが出来る信仰者になりましょう。現実的に恐れに勝利することが出来るのは切なる心で
主と交わることです。創世記15:8節「アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」現実的に恐れがある時、神様からいただく約束を信じることです。8節のアブラハムの質問に対して9節の神様の答え、9節「主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」これは不安になっているアブラハムに対する神様の答えでした。10節「アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。」