19節「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。」ルカは使徒8:1節と繋げて説明しています。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」、ここで教えられることは苦難と迫害は呪いではなく、祝福であると言うことです。迫害を受けた初代教会の信徒たちは散らばって、行きました。真理によって生きる人は迫害があればあるほど大きくなって行くのです。その結果としてアンティオキア教会が誕生するようになりました。
20節「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」福音を使えるのは国も民族も関係ありません。
使徒1:8節「 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」宣教をする教会としない教会は違いなんでしょうか。主イエスは地の果てに至るまで伝えるように教えているにも関わらず、教会建築が先になるとか、他の働きが先になるのが現代教会の特徴ではありませんか。マタイ28:19-20節
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このような働きがあるから21節のようなことはあると思います。「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」
日本にもこのような大きな宣教のはたらきによって多くの民が信じるように伝道に励んでいきませんか。
主の働きがある場所には21節のような奇跡があります。神様はイスラエルだけではなく、異邦人にも救いの働きがあることであります。神様の宣教の御業を体験する教会になりましょう。