使徒パウロはコリント第一15:2節「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。」1.救いはこのように恵みから来るのです。3節から、パウロの自叙伝的な告白が続けられて、これはあのダマスコの途上で主イエスに出合った経験から言おうとすることであります。主御自身が見せてくださったことが3節で言われていることではなかったならば、パウロは自分が伝えている救いと遠いもので、律法学者として歩んでいたに違いありません。しかし、主はあのダマスコに行くパウロの前に現れました。2.救いは「復活された主イエス・キリストに出合うこと」であります。これをパウロは救いと言われています。私が受けたことをまず、あなたに伝えます。コリント第一15:2-9節の中で「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」3.復活されたイエスを信じることが救いであることをローマ1:3-4節「御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」そして、コリント第一15:12節「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。」16-17節「死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」18-20節中で、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂