1-3節「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。」
人々が非難をした理由は異邦人と食事を共にしたと言うことです。ペトロも幻を見て3回もお断りしました。ペトロもコルネリウスの家に行く前は心の中で多くの葛藤があったに違いありません。しかし、ペトロは主に従うように決心をしました。ペトロが主の御心を悟り、告白している聖句は10:34-35節「そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」私たちも従順に行うまでが辛いし、苦しいけれとも決心をすれば、問題はありません。信仰のクライマックスは従順であります。神様は人間の外見をみるのではなく、心を見ておられるお方です。
異邦人であっても悔い改めるならば、救いがあります。イザヤ55:8-9節「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。」多くの人々は自分の経験や思いが正しいと思われます。聖書や祈りを続けるならば、人々が変わるのです。教会生活が長くなれば、なるほど高慢な態度が出てくるのが問題であります。イスラエル民もまったく同じでした。神様の恵みや憐れみをいつも忘れ、高慢や偶像に入るような態度を取るのです。初めの愛を忘れない信仰者になって行こうではありません。17節「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」異邦人であっても同じ賜物を神様が与えるのです。ここで賜物とは「救いの賜物」「聖霊の賜物」を現しています。4節「そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。」ペトロの変わった態度を見て下さい。