2015年度の収穫感謝節を迎えられました。今年も色んなことがありましたが、ここまで主によって導かれたことを感謝します。人間にとって収穫をすることが神様が人類に与えられた最大の祝福でありましょう。
詩編126:6節「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」旧約聖書にはユダの三大祭りが書かれています。過ぎ越し節、ななしゅうさい、かりいおさいがあります。私たちが仕事をして収穫がない、刈り取る
ことがないということはどれほど空しいことでしょうか。ガラテヤ6:7-8節「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。」
イザヤ3:10節「しかし言え、主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる。」
自然の法則は蒔いた通りに刈り取りますが、しかし、神様の収穫は30,60,100倍と刈り取ることを聖書で言われています。今年、皆様のご家庭の収穫はどうでしょうか。感謝節は刈り取る喜びがあります。
そして、神様に奉げる喜びがあります。刈り取る喜びを体験する人は神様に奉げる喜びも知っています。
人間が蒔いたものより何十倍も与える神様に感謝する
ことが出来ます。申16:16-17節「男子はすべて、年に三度、すなわち除酵祭、七週祭、仮庵祭に、あなたの神、主の御前、主の選ばれる場所に出ねばならない。ただし、何も持たずに主の御前に出てはならない。 あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。」無理やりではなく、自ら捧げる信仰が神を喜ばせるでしょう。捧げることに悩まないで下さい。捧げることに葛藤しないで下さい。
最後に感謝節の喜びは隣人と分かち合うことの喜びです。聖書から教えられる感謝節の喜びを体験する信仰者になって行こうではありませんか。