人間は聖霊を受けなければ、悪霊を受けるようになります。上から来られる神の霊、すなわち聖霊を受けると恐れと憎しみが去って行くのです。
そして許しと愛が可能であります。
人間が罪を犯してはいけないことを知りながらも、心は願っても肉体は弱いので、罪を犯し、そして滅んでしまいます。これらのことが人間の実存的な限界であります。しかし、この限界を克服する力は人間から出るのではなく、聖霊を受け、聖霊に満たされる時に可能になります。主イエスはご自分の弟子たちを世に送ることは、まるで、小羊を狼の群れの中に入れることと同じことであると言うことです。
このような例えは、世の中で共存しながら生きるキリスト者たちの運命でもありましょう。
小羊は絶対に自分の力で狼と戦って勝つことが出来ない存在でありましょう。狼の餌食になります。しかし、猛獣のような狼を羊のように変える方法は聖霊を受けることによって可能であります。
人間は受ける存在であります。受けることによって行きるのです。被造物の運命は神にありますし、人間の運命は神様に会えるでしょう。人間は神様によって罪が赦されなければなりません。そして、救われなければなりません。恵みと愛も受けなければなりません。まだ、この世に打ち勝たなければなりません。
このように総合的なものは聖霊充満から来るのです。
土に雨が少し降りますと乾燥された土となり、雨が全然降らないと砂漠となり、充分な雨が降りますと良い土となります。
このようにキリスト者が神様によって聖霊に満たされると良い土となって30、60、100倍の実を刈り取ることが出来るのです。ですから主イエスは聖霊を受けなさいと命じられました。聖霊に満たされて、より一層、主の使命に全うするキリスト者になりましょう。
聖霊を受けなければ主の働きは不可能です。