第二週の待降節(アドベント)を迎えられました。今年もわずかな時間が残っています。聖誕節を前にして心を静めて黙想してみませんか。11節「ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」問題の大きさや難しいさの解決は神様がなさることです。
11節を見ますとペトロ自信も自分が牢から出るのが信じることが出来ない状況でした。このような現象は私たちも同じでありましょう。とっても危険の状況から逃れていてもこれが奇跡であること、神様の助けであることは信じないところもありましょう。そのような状況が過ぎれば、その時、気が付いて分かる場合があります。信仰は概念でもないし、哲学でもありません。信仰は理論によって罪が赦されることでもありません。誠に悔い改めれば、罪は赦されるのです。
多くの人はこのような真理が信じることが出来ないのです。信仰は具体的な事実であります。
12節「こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」ここでマルコと言う名前はロ―マ式の呼び方、ヨハネはユダ式の呼び方であります。
ペトロはやっと気が付いて見ると自分が牢から出ていることを分かりまして、まず、自分が行くところはやはりいつも執り成しの祈りをしている場所が一番に思い浮かばれたと思います。その場所が12節に書かれている「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家」と言う場所でした。教会はこのように私たちが休む場所、祈る場所、避けところでもありましょう。教会がだれも来て心を平安をいただく教会でなければなりません。13-15節「門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。疑いのない信仰者、主の十字架を見る信仰者。