四旬節第3週
教会には通いますが、信じる者もあれば、信じない者、即ち不信仰者もいます。1節「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。」パウロとバルナバはどこに行っても福音を繰り返して伝えました。それは言うまでもなく福音は永遠に変わりないもにおであることの証拠ではないでしょうか。相変わらず、変わりのない福音であることの証しでもありましょう。福音は一つです。なぜならば、行きつまりのない、福音、神様は一人でおられるお方です。
神様は場所や環境によって変わるお方ではありません。
目的がはっきりする人は環境による影響はあまりありません。
目的な目標がない人は環境が大切であるでしょう。
私たちは環境に執着する場合が多くあります。成功すると喜びがあるが、失敗をすると絶望や挫折に陥るのです。ですから環境が悪いと自分は運の悪い人であると失望します。
私たちはパウロの人物について学びました。彼は牢屋に行っても、賛美や祈りを捧げる人でした。福音にはこのような力が現れるのです。福音は時間を超越し、空間を超越し、状況を超越して働くのです。だからパウロは福音を恥としないと語りました。2節「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。」
同じ福音を聞いても反応は分かれて現れるのです。福音を聞いて信じる者が現れるのですが、反対に2節に出て来る人々も
現れるのです。それは2,000年も過ぎて今の時代も同じことが起きているのです。2節から教えられるのは何でしょうか。
福音を聞いて信じない者の特徴は従順のない人です。
彼らは福音が入る前から不従順で心からいっぱいです。神様の御言葉を拒否する人でしょう。その人の心はサタンの霊に動かされ人です。3節「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。」
2節状況の中であってもパウロとバルバナはそこに長くとどまり語ったと言うことです。忍耐力は必要であることです。
福音を伝えるにあたって重要なことでありましょう。