4節「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、」
二人はキプロス島に入るようになりました。このような導きはどなたの力によるのでしょうか。言うまでもなく神様の宣教の業であります。二人は決して行く予定は計画もなかったのです。最初の宣教師として遣わされる二人を通して私たちも主の御用のために用いられる信者になりませんか。今日の教会は最初の目的は宣教で始まったんですが、その過程は自分の計画が優先になることは多く見られます。聖霊の導きは理論に過ぎないのです。真に聖霊の御声を聞いて宣教する人々には多くの宣教の実が与えられていることを見ることが出来るのです。この二人は宣教に行く前は「アンティオキア教会」で信徒として最善を尽くして仕えて来た人でした。その内容は1-3節に書かれています。1-3節「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。」、4-5節で教えられることは教会の仕事は自分がしたいからするではなく、認められてからであります。教会が認めないに自分がすることは神様の御心ではありません。実は「キプロス島」はバルナバの故郷であります。二人はまず、キプロス島のサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は全然見知らぬ場所ではなく、なじみがある場所に行かれたことは宣教はまず身近な場所から始まることを教えています。私たちもまず、身近な場所から宣教する教会・信徒となりませんか。
今年は身近な人に伝道する年となりましょう。