出で立つときも、帰るときも
詩編121編1-8節
詩編121編は全部で8節と短いものですが、その中に「見守る」という言葉が6回も繰り返し出てきます。このことを通して詩編121編が私たちに語るのは、人生の旅路、そして人生そのものを支えうる信頼についてです。特に注目したいのは、7・8節にある行きの道を主が守ってくださったように、帰る時も守ってくださるという詩人の告白です。人間を「創造された主は今も働きたもう神」であり、常に「見守ってくださる神」であるという信仰が、この言葉に込められています。
その中でも8節の「あなたの出で立つのも帰るのも」という箇所に目を向けたいと思います。ここで大事なのは、まず出るということですが、出なければならないことはわかっていても、実際に行動に移すのは
そう簡単ではありません。1節で詩人が心配し、不安で心が押し潰されそうな思いを私たちも抱くことでしょう。私たち自身もこの地上において旅人ですし、人生の道のりも巡礼の旅のそのものです。
天の御国に入るまでさまざまな困難に私たちは出会います。そこにはそびえ立つ山々、多くの苦難が、困難が待ち受けていることでしょう。ですが、出る時を守ってくださった神様は、また入る時も守ってくださる方なのです。私たちの前に、いかなる苦難や困難があったとしても、すべてを造られたのは神様であることを信じて、恐れることなく主の御言葉に従って出て行く時、その御手の業にふれることができるのです。私たちの助けはどこから来るのでしょうか。
助けは天地を造られらた主から来る、出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださる。このことを心に
刻み、新しい一週間を共に過ごしたいと願います。