(棕梠主日、苦難週間)
マタイ21:1-9
子ろばに乗って
今日はイエス様がエルサレム神殿に入城し、そして受難週間の始まりを告げる主日です。
イエス様のエルサレム入城は、共生のミニストリーの終結を意味します。イエス様は、イスラエルの最北端の地域であるフィリピンのカイザリアでペトロの信仰告白を受けた後、方向を変えて南のエルサレムに向かわれました。 イエス様はエルサレムに到着するまで、拒絶され続ける旅をされました。1節「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、」イエス様の群れがエルサレム城の外にあるオリーブの木にたどり着いたことがあります。
イエス様は3年間の共に期間を終え、エルサレムに入城して最後の一週間を過ごすことになります。
イエス様がエルサレムに入城されたのは、福音を伝えたり御言葉を教えたり、様々な奇跡を行う為に入城されたのではなく、神の子羊として苦難を受け、ご自分を差し出して十字架につけられ、死ぬために意図的にエルサレムに入城されたのです。2-3節「言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。 もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」
もし私たちがその場にいたら、イエス様がどのようにしてすべての事実を把握して語られたのか不思議に思ったでしょう。しかし、弟子たちはイエス様の言葉に何の異議も申し立てず、即座に従いました。
御言葉の中で、私たちはイエス様が全知された神性と主権を持たれた王であることを発見します。主は弟子たちにこれ以上自分を隠さず、イエス様がすべてを所有し、主権を行使する王であることを知ってほしいと願っておられました。ろばもろばの子も全て主のものです。
ここで重要なのは弟子たちの従順です。人間的な考えではイエス様の言葉にそのまま従うことは難しいですが、弟子たちはイエス様を認め、イエス様の言葉を受け入れました。そのような信仰を手にしましょう。