(各機関総会)
キリストの体なる教会
エフェソ4:11-16
私たちが健康な教会を立てることを願う。二つの必要性がある。
1.野性を育てる
ここで言う野性とは、まさに空を飛ぶことを意味する。
つまり、渡り鳥のように空を飛んだ後、地上に降りてくることがあってはならない。今日の本文で教訓するように、誘惑に勝てということである。ここで言う野性とは、渡り鳥のように大地を横断する渡り鳥として、その群れと一緒に生きることである。隊列から外れてはならない。
この世の誘惑を捨てて、楽に生きようとすること、満腹と安らぎに誘惑を振り払うことを意味する。
つまり、自己の本来のアイデンティティを持って生きることである。エフェソ4:14節を見ましょう。
「こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、」人の欺瞞、狡猾な誘惑、様々な教訓の風潮に押されてという言葉がまさに誘惑を受けないようにということである。つまり、私たちが誘惑を受けなければ野性を育てることができるということである。
私たちがこの渡り鳥のような誘惑を受けると、私たちが持っているクリスチャンの野性が崩れる。渡り鳥が飛ぼうと思っても体が肥大して飛べず、飛ぶ方法を忘れてしまったように、私たちクリスチャンのアイデンティティを忘れるとキリスト者の野性が動かない。今日、クリスチャンらしく生きようとする時、私たちが捨てなければならないものがどれほど多いか。神の御言葉通りに生きられないのである。私たちがこの地に多くの希望を置くようになると、渡り鳥が太り、羽を叩きながら空を飛べないようになる。
このようなクリスチャンは、神の仕事を果たすことが出来ないしたがって、霊的な野性を持つクリスチャンとなり、そのような職分者にならなければなりません。では、私たちが野性を持つために、この世の誘惑に勝つために必要なものは?
今年は聖書と祈りを持って教会に仕えましょう。