アブラハムの従順
創世記17:22-27
創世記17:15-16節「「神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。 わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」今、アブラハムは神様から健全な刺激を受けたのである。今までアブラハムは神様から失望し、落胆し、挫折した状況の中にいた。ところが、神は息子を与えるという言葉を聞いて、健全な刺激を受けたのである。ビクター・フランクル博士の言葉によると、刺激が来たら、次に考えなければならない。ところが、アブラハムは不信の心を持っている。創世記17:17節「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」
アブラハムは嘲笑しながら神様に反応するのか?
なぜアブラハムは考えて熟考することなく、すぐに嘲笑し、そんなことは起こらないと言うのか?
アブラハムの考えには、このようなことは起こらないという考えで満ちている。アブラハムの思考には、起こらないという確信の思考で満ちている。アブラハムが相手にしているのが私たちのような人間なら、この考えは当然のことである。しかし今、誰もが相手をしているのか? 全能の神、エルシャダイの神、宇宙万物を造られた神。
その方を相手にしている、アブラハムの間違いは何か?
アブラハムは神を自分のレベル、自分の考えに合わせて語っている。次に本文の18節「アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」
アブラハムは神について知らなくても、あまりにも知らない状況です。自身が作り出した神を捨て、真の神を発見するのがしんこうです。真の神を知ることで、人生の目的も分かる。多くの人は神を自分の考えの枠に閉じ込めてしまい、間ではできないことに対して、神もできないことをなぜ神はこのような宣言をするのか?というのです。
今年はアブラハムの信仰を学んで実践しましょう。