収穫感謝節 感謝は神の御心
テサロニケ(第一)5:16-18
2018年度収穫感謝節を迎えられました。各家庭と教会の上に神様の豊かな祝福と恵みがありますように願います。感謝と言う言葉は英語では「thank],この言葉は英語の
「think]から由来されていると言われています。
つまり、感謝は何も考えない表現が出来ないと言うことです。考える人は感謝することが出来るのです。イギリスや美国では「thank you」と言う言葉をよく使われます。
しかし、noと言う言葉を使う時にも後ろには「thank you」神様はいつも感謝する人を使います。
本日の聖書箇所を見ますと「 いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」このようなことが「神があなたがたに望んでおられること」であると言うことです。
キリスト者が生活において必修は感謝であると言うことです。しかし、この感謝は「喜び」と「絶えず祈る」ことがなければ出来ないのです。さて、本日の聖書から3つのことを考えて行きたいのです。1.いつもよろこばないと感謝に至らないのです。ピリピ4:4節「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」
この手紙はパウロが牢屋の中でフィリピ教会の信徒たちに書き送って手紙です。つまり、キリスト者がいつも喜ぶことが出来るのは神様の摂理を信じるからです。
主により頼み、主にすべてを委ねて行くことです。
2.絶えず祈る時に、どんなことにも感謝が出来るのです
祈りは感謝はいつも平行線です。切り離さないと言うことです。ピリピ4:6節「どんなことでも、思い煩うのは やめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」
コロサイ4:2節「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。」、3.どんなことにも感謝することは霊的な力です。宗教改革者マルティン・ルターも「悪魔の世界は感謝は絶対存在しない」と言われています。
感謝をすることはいかに大切なことでしょうか?