従順に従う者
イザヤ1:19-20
今年は教会創立87周年を迎えられます。神様の御言葉を従順に従う人には幸せであると告白するのです。
もし、何方があなたは幸せですか?聞かれたら自身を持って「はい」と答えれますか?
一般的にはものによって幸せか、否かと返事をすると思います。しかし、信仰者である私たちはそのようなことで
幸せであるのではなく、イエス・キリストによって幸せです。と言わなければなりません。主に人格的に出会われた人にはつまり、イエス・キリストによって幸せです。とはっきりと言うと思います。教会の働きも幸せを感じながら
行う人もいれば、仕方がなく行っている人もいます。
教会の働きをすることによって幸せになりたいと願うならばそれは間違いです。ヨハネ黙示録3:20節「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
この聖書を読みながら、自分の心の中には主が共におられるよ、と言いながら従順を行わないことは間違いです。
主イエスを信じ、そのお方が私の心におられますと言いながら自分は幸せではないと言われるとかなりの矛盾を感じるのです。私たちが本当に主を信じるのではあれば、
必ず、従順な態度、従順に従う人になるのです。
使徒10章に書かれているペトロの態度、神様が食べるように言われているが、自分は律法的な信仰で神様のお話しを拒否してします態度。これは正しいことではありません。今日の私たちはどうでしょうか?神様が言われているにも関わらず、自分の都合を言っていませんか?
ここで言われる従順がないと献身も出来ません。
そして、主に委ねることも出来ません。主を喜ばせることは主に従順に従ことでありましょう。
今年の創立記念伝道集会を通して武庫川教会の皆様は本当の従順、真実に行う従順を手にして行こうではありませんか?他の人々は主イエスによって幸せであると証しもしているが、自分は何も感じなく、教会生活を行っていませんか?信じる者にはしるしが現われる聖書は言われています