親切の実
ガラテヤ(갈) 5:22-23
本日は聖霊の実の中で五番の実である「親切」について学んで行きます。親切に訳されている言葉はギリシャ語では「クレストレス」、英語聖書では「gentheness]他の英語の聖書では「kindness」と訳されているのでは日本語の聖書では「親切」と訳しています。
しかし、韓国語の聖書では「慈愛」あるいは「憐れみ」と訳しています。ルカ10:30-37節に書かれています、善きサマリア人の話しはまさしく慈愛、あるいは親切について語っている御言葉です。
しかし、信仰者である私たちは親切、あるいは慈愛を実践しなければならない理由は?
1.神様は私たち人間を神の属性である憐れみを持って救ってくださいましたので、私たちも行うべきです。
コリント(第二)1:3節「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。」
人間は太陽や雨の恵みをいただくのは資格があるから
ではなく、神様の一方的な慈愛、つまり憐れみによるものです。2.神様は御自分と同じ属性を持って生きることを望んでおられるからです。
ルカ6:36節「あなたがたの父が憐れみ深いように、
あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
ローマ12:21節「悪に負けることなく、善をもって
悪に勝ちなさい。」、ヨハネ第一手紙4:20-21節「
「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。」3.主に仕える機会です。
マタイ25:40節「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
親切な人であると認められる信仰者になりましょう。