忍耐の実
ガラテヤ5:22-23
今日の本文と関連聖句はローマ5:1-4節「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」忍耐は豊富の門を開かせる鍵です。豊富の法則の最終は忍耐でありましょう。
忍耐の法則を豊富の法則の中で最終的なものであると言われる理由は何でしょう。それは言うまでもなく忍耐がなければ豊富の実を収穫が不可能であります。
ローマ3:26節「 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。」、ここで「この時」はギリシャ語では「カイロス」と言います。ここの時は決められた時間、適正な時間を表します。しかし、ガラテヤ4:4節「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」ここで時は「クロロス」と言うギリシャ語です。人間の時間「クロロス」
と神様の時間「カイロス」の間は差があります。この差を埋める時に必要なことが「忍耐」であります。
キリスト教では自分かってに行動するのではなく、
「神の時」「神の御心」を待つ宗教とも言われています。しかし、その時、つまり待つ時間は大変つらい時間かもしれません。苦難や苦しみが伴うかもしれません。忍耐は日常生活の中で忍耐が必要です。
日常生活で失敗する理由は忍耐が出来ないからです。
例えば、創世記12:1節「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。」、神様は初めて現れたのは75才でした。しかし、いくら経って子供は生まれなかったのです。
神の時間、即ち、「カイロス」を待つことが出来なかったのです。神の時間「カイロス」を待ったなかったアブラハムは創世記16章において大変つらい経験をされました。