寛大な心
ローマ14:1-6
本日の本文の背景はローマ教会が受信者であります。
ローマ教会に信徒は異邦人と元ユダヤ人により構成されていたのです。しかし、元ユダヤ人たちはイエス・キリストによって救われているにも関わらず、以前の
風習をそのまま行っていたのです。そのような状況を
見た異邦人たちはそれが理解出来ず、受容出来なかったのです。1-2節「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。」パウロはローマ教会の問題の宣言をしている箇所です。15章7節「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」ここで「受け入れてくださった」と言う言葉の
中の意味は、自分の考えと違い、私たちが見た時、
重要ではないけれども、自分が問題なくても他人も
そうではないことでもありません。他人を非難する人は他人を理解出来ず、忍耐を持つことが出来ないのです。3節「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおりです。」ここではある特定な人物を指しているのではないのです、皆のことです。私たちの問題は自分が正しいと言うことを言うことにより争いが生じるのです。
ですから皆が自分と同じではないことを認めることです。相手を受容すること、理解する人は人は過ちがあることを認めることです。3節でパウロが言ったのは
信仰が弱い人を非難してはならない根拠があります。
批判することや裁くことは神様の権威であることです。4節「 他人の召し使いを裁くとは、いったい
あなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。」