ローマ書2章17-24節
私に与えられる神の御言葉
教会はイエス様によって始められ、リバイバルして成長してきましたが、成長の過程で味を失った塩のように、
イエス様の御言葉とイエス様の十字架の精神を失い、まるで髪の毛を切られたサムソンのように無能力な教会に転落してしまいました。
今、教会が直面している危機を克服するためには、失われたイエス様の十字架の精神を回復しなければなりません。第1コリント10章31節に、すなわち、あなたがたが食べようが、飲もうが、何をしようが、すべて神の栄光のためにしなさいと言われました、ヨハネの福音書第1問にも、人が一番になる目的が何であるかという問いに、神を栄光させ、永遠に神を喜ばせることであることを明確に教えてくださっています。 それにもかかわらず、ユダヤ人たちが神の栄光を明らかにすることができず、隠してしまった理由は何でしょうか?
1.知識は多いが、実践がなかったからである。
2.残りは教えながら自分は教えなかったからである。
3.割礼を受けたことを自慢したが、割礼を受けた人らしく生きなかったからである。
十年経てば強山も変るという古いことわざのように、人の外形的な姿も十年経てば大きく変化しますが、自分の霊的な信仰生活にどのような変化があるかを考えてみてください。
私に与えられる神の御言葉に耳を傾ける姿勢、その態度を持つて行く信仰者になりましょう。