霊的な病を癒す主
ゼカリヤ書(슥)7:1-7
145篇からは賛美歌が続きますが、特に145篇はダビデの賛美歌です。ダビデの賛美詩は王の賛美です。神様が王に統治する力を与えてくださったこと、それに対して神様を賛美するものです。144節で神様が私を立て、それを通して統治することを教えてくださり、私に民を任せられました。 これが神様と王の関係です。
統治に対する賛美145篇の全体のテーマは21節の言葉です。ダビデの詩篇の特徴は、神に向かって切実で賛美に満ちた詩篇です。
1-2節を見ます。「わたしの王、神よ、あなたをあがめ/世々限りなく御名をたたえます。
絶えることなくあなたをたたえ/世々限りなく御名を賛美します。」ダビデが永遠に主を賛美すると告白するのは、ダビデが神は驚くべき神、生き生きとした神、全知全能の神、創造主の神であることを信じる人です。
その方は全能の神、創造主の神であることを信じる人です。ダビデの賛美の内容が3節から始まります。
3節「大いなる主、限りなく賛美される主/大きな御業は究めることもできません。」
ダビデ自身は、神を偉大な神として賛美しているのです。
したがって、ダビデの心の中には常に賛美が溢れ出る。永遠に賛美する心が起きる。私たちも神をそのような神として信じて進み、経験すれば、おそらく賛美が溢れるようになります。イスラエルのベクソンの民がエジプトで奴隷生活をして出エジプトしたが、荒野に入るにつれて、彼らは絶えず神を恨むようになる。
神様に出会った人と出会えなかった人は全く違います。
結局、カナンの地にはその子供たちだけが入ることになり、出エジプト1世は荒野で死ぬことになります。
モーセは、民よりも多くの困難に直面していましたが、不平、不満を言わなかった。
なぜかというと、モーセは神様と直接対面した者だったからです。主は癒し主であり、励まして下さる主です。